刀剣漫遊記

刀剣漫遊記とは?

HP管理人が「あそこに行ったら刀が見れるらしい、見れるかも、見れたらいいな、見れたらラッキー♪」ぐらいの軽いノリで、伝聞と噂と僅かな情報と自分の勘と運だけを頼りにあっちこっちと、時には計画的に、時には行き当たりばったりに、時には単なるその場の思いつきで、刀などを求めて10年落ちの愛車でブラブラ巡った探訪録です。

では、どうぞ!↓↓↓

① 阿蘇神社展 ~復元された蛍丸~

去る2024年3月9日の刀剣会開催当日に、中原先生と昼食をご一緒した後、肥後銀行本店の一階で開催されていた阿蘇神社展に2人で行って来ました。
中原先生は蛍丸を復元した現代刀匠お二方のうち、大分県の刀工の方をよくご存知との事。
蛍丸の写真撮影OKだったので、スマホで撮ってきました。
三尺三寸ちょっとの大太刀、実際に生で見ると、当たり前ですが、長い!鞘はもっと長くてデカイ!拵に入れたら相当ゴツいよ!これ、一体どうやって抜くんだろう?
いや~、それにしても刀剣乱舞の力って凄いですね!恐るべし刀剣女子のパワー!凄いよね!

阿蘇神社の復元された太刀「蛍丸」

② 宗像大社の神宝館

先日、宗像大社に参拝した折りに、同敷地内にある神宝館に行って来ました。沖ノ島から出土した国宝が沢山展示されていて、写真撮影可との事で色々撮らせて頂きました。
「刀関係の出土品はあるかな?」と思いながら順路に沿って見ていくと、ありました!
古墳時代の鉄製の剣と刀で、目釘穴が確認出来ます。鎺(はばき)もありました。他に当時の拵えの一部も展示されてました。
毎年、宗像大社には幼少の頃から家族で初詣に来てたけど、恥ずかしながらこの年になって初めて神宝館に行った次第です。
しかし、刀に全く興味が無かった頃にこれを見ても「はぁ?何これ?赤く錆びてボロボロになってるただの細長くて薄い板じゃん。これがどうしたの?これの何がスゴいの?」としか思わなかったでしょうね。

宗像大社の神宝館の出土した刀剣

③ 祐徳博物館 〜歴代忠吉の刀〜

日本三大お稲荷さんの一つである佐賀県鹿島市の祐徳稲荷神社。参拝した後、そのすぐ向かい側にある祐徳博物館に行って来ました。四代以外の初代忠吉から九代忠吉までの肥前刀が企画展示されていました。二代と三代の合作もあり、初めて五代・六代・七代の刀を見ました。残念ながら写真撮影は禁止。
歴代忠吉の他に、伊勢神宮に奉納された直刀の太刀の影打ち・備前康光・土佐吉光・江州一峯・石州直綱・備後三原藤原貝正則などがありました。
又、鹿島藩の歴代藩主の甲冑がズラーーーーーーッと展示してあり、とても見ごたえがありました。圧巻です。個人的には表面に鎖帷子(くさりかたびら)が施された甲冑が、何か良かったです。何かカッコ良かった!
拝観した後、外のトイレの側の喫煙所で煙草を飲んでたら、先ほど館内で話した学芸員さんも丁度来られたので、お互い一服しながら引き続き色々なお話を聞かせて頂きました。
参道で買った糸切り羊羹も美味かったし、良い所でした!大変勉強になりましたよ!

④ 刀工 金剛兵衛盛高の石碑

以前、中原先生が「太宰府天満宮そばの宝満山に金剛兵衛の記念碑がある」と仰ってたので、探しに行ってみました。車を駐車場に停めて、登山者とすれ違いながら、漫画「鬼滅の刃」の影響で一際賑わうようになった竈門神社に向かって歩いていると、左手の紅葉したモミジの奥の方に何となくそれらしき3つの石柱があり、近づいてよく見てみると、真ん中の石碑に「刀工金剛兵衛源盛高発祥之地」と刻まれてました。左右の大きな石碑にも文字が刻まれてましたが、コケなどで覆われてあまり読めません。でも、思ってたより意外とあっさり発見出来て良かったです。任務完了!その後は勿論、太宰府天満宮の参道に寄って梅ヶ枝餅を買い込んで帰途についたのは、ことさら言うまでもなく当たり前の事です。当然の流れです。自然現象です。宇宙の真理です。梅ヶ枝餅目当ての石碑探しでもいいじゃない。人間だもの。愛刀家だもの。

刀工 金剛兵衛盛高の石碑

⑤ 中津城 (奥平家歴史資料館)

大分県の中津市といえば、みんな大好きな「からあげ」の聖地です。その旨いからあげを買いに行ったついでに「あわよくば」と、刀関係のモノを求めて中津城の中にある奥平家歴史資料館に行ってみました。徳川家康の6才の可愛い曾孫が、病気で療養中の家康のお見舞いに行った時に「ねぇ~ひいじいちゃん、これちょうだい♡」と言って貰ったという白鳥鞘の鑓がありました。長さは三寸で三条小鍛冶宗近作との事。薙刀、袖絡もありました。又、歴代中津藩主の鎧兜も展示してあり、それらの甲冑を見ていたら売店のお姉さんが話し掛けてきて「一番右の薩摩の島津家から養子として来た五代藩主の甲冑には、丸に十字の轡紋(くつわもん)が施されていて、その鎧と兜のあちこちにある♡(ハートマーク)を逆さまにした装飾は、猪の目を模した魔除けらしいですよ」と、教えてくれました。へぇ~、知らんかった!そうなんですか!売店のお姉さん、サンキューです!他には羊の毛みたいにモコモコした陣羽織、火縄銃、法螺貝、徳川家康の鎧兜の写し、古文書などが所狭しと展示されていました。これら以外には解体新書とその原本のターヘルアナトミア、蘭学事始、褌一丁で磔にされてる人の絵、鷹狩りの道具類などがありました。
この中津城内の資料館は、写真撮影可で想像以上に色んなモノがありました。今回は時間的にあまりゆっくり見れなかったので、きっとまたいつか訪れると思います。面白かった!からあげも美味かった!何か良かった!

中津城内に展示されている白鳥鞘の槍

⑥ 玉名市立歴史博物館こころピア 〜同田貫の刀〜

『同田貫の刀が見れるらしい。写真も撮っていいらしい』という情報を掴んだので「玉名市立歴史博物館こころピア」という所に行ってみました。少し前衛的な外観の建物だったので「ここ、本当に歴史博物館か?間違いないよね?」と、思いながら階段を登って中に入りましたが、間違いなくココでした。入館料300円を支払って地下?一階?に行ったら、ありました!同田貫!初代正国、直景、宗廣の刀が展示してありました。どうやら様々な同田貫の刀を適時入れ替えて常設展示されているようです。ならば、またいつか来なければなりますまい。愛刀家だもの。そして、なんと言っても、これは良い事なのか悪い事なのかとても微妙ですが「人が少ない」(笑)。たまたまかもしれませんが、入館者が少ないように見受けられ、ズーッと周りに誰もいなかったので、ガラスにへばりついてゆっくり観れました。分厚いガラス越しだけど、300円で色んな同田貫が観れるので大変お得だと思います!

玉名市立歴史博物館に展示されている同田貫の刀

⑦ 菊池神社の歴史館

たこやき大阪合志店の蜂来饅頭(あずきあん)は美味いので、道中に買ってパクつきながら「菊池氏の神社ならば何か武具があるだろう」と予想し、事前情報一切無しぶっつけ本番当たって砕けろ精神で、初めて菊池神社に行ってみました。本殿に参拝した後、お守り等を販売している色が白くて若くて可愛い巫女さんに尋ねると、境内の歴史館に刀などが展示されているとの事。やっぱり!その場で入館料500円を支払って歴史館に入ると、武者絵や能面や能衣裳や元寇のモンゴル軍の衣裳等と共にありました!同田貫宗廣の脇差と朱鞘、信國の短刀、大石左教永の槍、国行、豊前行勝、國村、國時などなど。槍と短刀が多かったです。菊池千本槍ですからね。甲冑もいくつか展示されてました。が、しかし、写真撮影はNG!残念無念!色が白くて若くて可愛い巫女さんに「すみません。撮影はご遠慮させて頂いております。。。」って、ホント申し訳無さそうに頭を下げて言われたら、そりゃあんた、キチンとマナーを守らねばなりますまい。隠し撮りなんざ男が廃るというものであります。日本男児だもの。愛刀家だもの。

⑧ 熊本市田原坂西南戦争資料館

2025年3月8日の刀剣会当日、JR熊本駅に中原先生をお迎えに行く道中、何故かは全く分からないんだけど「時間はまだあるし、田原坂に行ってみよう」と、何となくフト思って、6年ぶりに熊本市田原坂西南戦争資料館(正式名称って長いね(笑))に、フラッと行ってみました。以前行った時に刀が展示してあったかどうかなんて、これっぽっちも一切記憶に無く、ほとんど期待もせずに「もしかしたらあるかもね〜」ぐらいの軽い気持ちで館内を順路に沿って歩いて観てたら、ありました!花岡山の麓の薩軍の陣があった所で発見されたという高田の國重の脇差(肥後拵)、波平の脇差、備前盛光の脇差!軍刀もありました。示現流&野太刀自顕流&新陰流&雲弘流&伯耆流VS警視庁抜刀隊、凄い斬り合いだったでしょうね。一部を除き写真撮影OKだったので撮らせて頂きました。入口の横にあった無料冊子「年刊田原坂vol2」によると、筑後の祐利・国俊の脇差、波平の脇差、同田貫賢次の槍も収蔵されているようです。外に出て公園に行くと、美少年像の近くの説明書きに「官軍から発射された弾丸は一日平均三十二万発」「日露戦争旅順攻撃当時の一日平均発射弾数三十万発」「負けじと撃ちまくった薩軍の弾数を入れますといかに激烈を極めたか窺うに足ると思います」とありました。本当に、現実に、日本刀で斬り合い、銃で撃ち合い、想像を絶する激戦の真っ最中だった今から148年前の今日3月8日に田原坂へ来るなんて、ついさっきまで露ほども思ってなかった。たまたま訪れた日がたまたま戦いの真っ最中の日でした、というだけの話なんだけど「目に見えない不思議な何かに呼ばれた」と、勝手に都合良く思い込んで悦に入っておきます(笑)。それにしても凄い戦いとしか言いようがありません。田原坂、やっぱり凄いよ!再訪して色々と拝見し、改めてそう思った次第であります。

熊本市田原坂西南戦争資料館に展示されている日本刀

⑨ 柳川の立花家資料館

月刊マガジンで「陸奥圓明流外伝 修羅の刻 安倍晴明編」が連載されているのを知り、「そういえば立花宗茂編もあったよね」と思い出して、本棚から修羅の刻19巻を引っ張り出して久しぶりに読み返してみたら、やっぱり面白い!「おぉ!これは柳川に行かねば!」という事で、春休み中の甥っ子を連れて立花家史料館に行って来ました。
外国人観光客を横目にとりあえず御花(おはな)と呼ばれる建物に向かって歩くと、その御花のすぐ隣の建物が史料館でした。
写真撮影OKとの事だったので勿論撮らせて頂きました。ありがとうございます!
日置(へき)流弓術を修め、とても弓が上手だったと云われる立花宗茂公所用の弓、黒田長政との「鉄砲と弓、どっちが優れているか論争」の実地検証の結果、負けてしまった鉄砲推しの黒田長政から勝った弓推しの宗茂公に贈られたという火縄銃、宗茂公が戸次道雪から譲り受けて常に戦で用いていたという無名の刀(兼光極)、宗茂公が朝鮮出兵時に持参したという関の兼貞の槍と播磨の政国の槍が展示してありました。
しかし、非常に残念ながら、戸次道雪が雷を斬ったと言い伝わる雷切丸(らいきりまる)は見当たりませんでした。もちろん雷切は修羅の刻の立花宗茂編に登場し、来館前日に読んだばっかりだったので、是非とも見たかった(笑)。
それから、甲冑がズラリとあり、戦の時に陣中に持参したと伝わる軍神掛物という神仏が描かれた掛軸がありました。
他には、駕籠(かご)や長持(ながもち)、絵が描かれた綺麗な貝などが展示されていました。
拝観した後、すぐ隣の御花にも行ってみました。西洋建築様式をふんだんに取り入れている洒落た建物で、物凄く広い広間の物凄く長い縁側に、宗茂公が一つの隊の全員に被らせたという「金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)」が、ズラーーーーーーーーーーーーーッと飾ってあって、圧巻されました。全部で200個あるそうです。
一通り見学し終わったので御花を後にして、半日一緒に付き合ってくれた甥っ子に柳川名物「まよい焼き」を買ってあげようと思い、車でそのお店を探すものの全く分からずじまい。仕方なくトボトボと帰途に就きました。
それにしても、立花家に代々伝わる雷切丸は観たかった!いつか企画展などが開催された場合は、雷切丸が展示されているかどうかキチンと確認して、再訪したいと思っております。

柳川の立花家資料館に展示されている槍

⑩ 太宰府天満宮の宝物殿

HP管理人が生まれ育ち、長年住んでいる田舎の集落の神社の氏神様は菅原道真公です。よって近所の人々も私も氏子であり6年に1回、1年間に亘ってこの神社の祭祀のお手伝いをする当番が順番に廻って来ます。この当番の事を「座前(ざまえ)」と呼びます。私はちょうど今年(令和7年)がその座前に当たるので1年間お世話を務めさせて頂くのですが、その氏神様であられる道真公を祀る本家本元の太宰府天満宮には、今まで数え切れないほど行った事があり、私がまだ大変可愛かった幼少の頃、両親に「どっかに連れて行ってー」とねだると、大抵、太宰府天満宮の敷地内にある「だざいふえん」という遊園地に連れて行かれるのが定番でした(正式名称は「ださいふ遊園地」らしいのですが、私共の地域では昔から「ださいふえん」と呼んでおります)。そんな身近過ぎる太宰府天満宮なんですが、同敷地内の宝物殿には未だ行った事が無かったので、、、っていうか「行こうと思えばいつでも1時間弱で直ぐ行けるし、また今度でもいいんじゃない?」的に後回しにし続けてきた、というのが実情。が、しかし、この度一念発起し、意を決して、少々重い腰を上げ(笑)、行って参りました!宝物殿に!
入場して先ず目に入ってきたのは、火災で焼けて真っ黒になってしまった道真公の佩刀と云われる毛抜形太刀(けぬきがたたち)です。中心(なかご)が透かしてあって本当に毛抜き状になってました。無銘で伝 天国との事です。
天国→「てんごく」「HEAVEN」じゃありません(笑)。「あまくに」です。
火災に遭ったとはいえ、ボロボロでは無かったのは不幸中の幸いですね。
豊後の行平の太刀もありましたが、同じく火にかかってしまったんでしょう、中心が凸凹でボロボロで鑢目(やすりめ)も無くて見るも無残な状態でした。
それから、筑前信国重包の脇差(短刀?)は綺麗でした。実見出来ませんでしたが、差裏(さしうら)に梅の木が彫られているそうです。見れない代わりにその差裏の写真が展示されてありました。優しい気づかいですね。
他には現代刀があり、又、短刀もあって村正との事。
刀剣類以外には鰐口(わにぐち)や高杉晋作の書状などがありました。
それにしても、毛抜形太刀は真っ黒で、豊後の行平の中心はボコボコで「火災の程度にもよるが、火にかかった刀はこうなる」と、以前、中原先生から習った通りの状態でした。正直、酷かったです。写真撮影OKだったので色々撮らせて頂きました。
一通り拝見したので、すぐ近くの次の目的地・九州国立博物館に歩いて向かいました。共通チケットを買うとお得に観れるようです。
さぁ、いざ行かん!九博へ!GO!

太宰府天満宮の宝物殿に展示されている菅原道真公の毛抜形太刀

⑪ 九州国立博物館

前述の太宰府天満宮の宝物殿からハシゴです。九州国立博物館は建物がまだまだキレイですね!定期的にキチンとメンテナンスしてるんでしょうね。太陽の陽射しでピカピカ光ってます。
エスカレーターに乗り、さっそく常設展の館内に入ると、暗い!よく見えない!目が慣れるまで暫し待つしかない(笑)。
だいぶ見える様になったので、ウロウロしたら太刀がありました。山城の国行との事です。沖ノ島から出土した鉄刀と蕨手刀子(わらびてとうす)、青銅器の戈(ほこ)、縄文時代の石刀、宮地嶽古墳から出土した約3mの金銅装頭椎大刀(こんどうそうかぶつちのたち)のレプリカ、がありました。
予想はしていましたが、いわゆる「日本刀」は残念ながら太刀一振のみでした。写真撮影は出来ました。
下の階では、はにわ展が開催されていました。はにわを見ると、どうしても世代的にNHK教育テレビの「おーい!はに丸」を思い出してしまいます。可愛かったですよね、はに丸。馬のひんべえも。何か和みます。現場からは以上です。

九州国立博物館に展示されている太刀

⑫ 博多の櫛田神社

「櫛田神社に刀が展示されているらしい」という情報を掴んだので、神社に電話して確認したら「現在、建物を改装中なので刀は見れない。今年(2025年)の9月頃に完成する予定」との事でした。

よって、暫し待たれよ、乞うご期待!です。

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